火垂るの墓


脚本・監督:高畑勲
作画監督・キャラクターデザイン:近藤喜文
レイアウト・作監補佐:百瀬義行
美術監督:山本二三
音楽:間宮芳生
制作:スタジオジブリ

清太:辰巳努
節子:白石綾乃
清太・節子の母:志乃原良子
親戚の小母さん:山口朱美

1945年9月21日、清太は省線三ノ宮駅構内で衰弱死した。清太の所持品は錆びたドロップ缶。その中には節子の小さな骨片が入っていた。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。
太平洋戦争末期、兵庫県御影町(現在の神戸市東灘区)に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は6月5日の空襲で母も家も失い、父の従兄弟の未亡人である西宮市の親戚の家に身を寄せることになる。
やがて血の繋がりのない節子と清太を、小母は邪険に扱うようになる。二人の兄妹は家を出ることを決心し、近くの池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めるが、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていく。清太は、畑から野菜を盗んだり、空襲で無人の人家から物を盗んだりしながら生き延びる。やがて日本が降伏し戦争は終わった。敗戦を知った清太は、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受ける。
節子の状態はさらに悪化し、清太は銀行から貯金を下ろして食料の調達に走るが既に手遅れで、幼い妹は終戦の7日後に短い生涯を閉じた。節子を荼毘に付した後、清太は防空壕を後にして去っていくが、彼もまた栄養失調に冒されており、身寄りもなく駅に寝起きする戦災孤児の一人として死を待つのみであった。
Wikipediaより)

本日2本目の。
昨日(おとといか。)見た「ヒバクシャからの手紙」の影響で、
火垂るの墓」がとても見たくなったので、うちにある何年も前のビデオをダビングしたVHSを観ました。
この映画は大きく分けて現実と思い出と空想の3つのシーンがあります。
1日に行ったジブリのレイアウト展では、宮崎駿の監督作品より、
なぜか高畑勲の作品に惹かれました。
それは自分の成長なんでしょうか。
自分でアニメーションや映像を作ると、映画の構成を見たりします。
火垂るの墓」は今まで何度も観てきました。
2年に1度は金曜ロードショー終戦記念日あたりに放送しているから。
でも公開当時はあの「となりのトトロ」と同時上映だったていうのが驚きです。
あんなに夢があって、明るい話と、こんな辛い話を一緒に見せるなんて。。
でもそれもいろいろ理由があったみたいだけど(wikiによると)。
何度も観ているけど、今回は初めて話と構成と、音楽とかを真剣に観ました。
するとまた新しい発見があるものです。
本当に辛い方向にしか進まない映画だけど、
思い出や空想を交えたり、音楽の入り方、選曲で切なさをより強めてるなぁと思いました。
節子が一晩で死んでしまったたくさんの螢を穴に埋めようとしてるシーンで、
初めて清太が泣きます。
節子が、掘った穴にたくさんの螢の死骸を入れる瞬間、
清太の頭に死んだお母さんが他の遺体と共に穴に投げ入れられるシーンがフラッシュバックします。
そのとき清太は、節子がお母さんは死んだと知っているとわかります。
なぜか今回はこのシーンがとてつもなく印象に残りました。
前回観たときはもうお金もなくなって、節子も弱ってきて、
節子のために、避難する街の人々の波を逆らって命をかけて火の中の住宅街に駆けていく清太が印象深かったです。
そのあと狂ったように笑うシーンが怖かった気がします。
この話は、半分実話で、作者の野坂昭如の実体験に基づいているそうです。
野坂昭如には2人の妹がいて、一人は生き残ったそうですが、一人は節子と同じように亡くなったそうです。
映画にも出てくる2人に辛くあたる未亡人のおばさんは、生き残れなかった妹に対する野坂昭如本人で、
節子を守る清太も本人のようです。
毎年この季節になると、入道雲と青空がきれいで、同時にこの「火垂るの墓」の終盤の青空を思い出します。
本当に戦争ってあったんだなって。思い出します。